NOTES

『枝葉のこと』ライナーノーツ

posted 2018/04/29

 自分が二ノ宮隆太郎に出逢ったのは今から7年半前、ENBUゼミナールという映画学校の映像俳優コースの実習作品の撮影であった。その時の関係といえば、僕はスタッフ(助監督)、彼はキャスト(生徒)だった。その作品で二ノ宮は、その朗らかな容姿をまんま活かした朗らかな存在感を発揮しながら、内面に溜め込んだ毒性を垣間見せる芝居をしていて「なんだこいつ」的な印象を周囲に抱かせた。

 

 それから二ノ宮とは、いろんな撮影現場で、たくさんの酒場で一緒になった。時には一緒に山奥で台風に遭ったり、時には一緒に車で事故ったり、時には一緒に歌舞伎町でぼったくられたり。思い出がいっぱいだ。彼が監督した作品がぴあフィルムフェスティバルに入選したという連絡が来た時も、僕らは撮影現場で一緒だった。「平波さん、俺、ぴあ入選しました…」

 あの時の彼の顔を僕は忘れることはないだろう。それからその作品を見せてもらって、僕は彼と初めて出会った時に抱いた彼の人間性が恐ろしく映画的に具体化されていて、その作品力にとても感服したものだ。その作品『魅力の人間』は、国内外のいろんな映画祭で評価され、彼の特集上映が催されることもあった。しかし、時間というものはあっという間にすべてを過ぎ去らせていく。

 

 相変わらず僕は二ノ宮を現場に誘い、飲みに誘う、そんな日々が続いていた。「早く映画撮れよ」と、酒を飲むたびにあいつに言ってた気がする。そしてあいつは「凄え映画撮りますよ!」と息巻いて酔い潰れてた気がする。ある日のこと、いつものように僕が二ノ宮を飲みに誘うと、バイトではない別の理由で断ってきたことがあった。「すいません、小さい頃からお世話になった大切な人に会わなきゃいけなくて…」その言葉が、のちに大きな意味を持つことを当時の僕は知るよしもなかった。

 

 そして2年前のことである。二ノ宮隆太郎から「新作を撮るので助監督をしてほしい」という連絡が来た。そして急ピッチで準備が始まった。確か脚本が送られてきてから、撮影まで一ヶ月ちょっとしかなかった気がする。完全に二ノ宮の自主制作映画ということだったので、撮影期間も少ない(6日です)。ただ僕は手元にあった脚本と、二ノ宮という監督の可能性を更に推し進めたいと思い、差し出がましいけど、スタッフィングまで口を出させてもらった。そうして撮影は始まり、あっという間に終わった。二ノ宮から助監督のオファーがきて、脚本を読み、彼の話を聞いて、僕は記憶の彼方にあった彼のあの言葉を思い出していた。「すいません、小さい頃からお世話になった大切な人に会わなきゃいけなくて…」

 

 映画『枝葉のこと』は、二ノ宮隆太郎にとって、とても大事な人と過ごしたかけがえのない時間と、そしてその人と向き合えなかった時間を描いた作品だった。普段、昼から酒を飲んで、異性の話が大好きで、映画も偏愛が過ぎる、そんな表向きの側面からは見えもしない、二ノ宮隆太郎という人間の別の側面を見た気がした。すごく他愛のないことだと思うけど、僕にはそれがとても大切なことだと思うんだ。個人差はあると思うが、我々ものづくりに携わる人間は、作るものにある程度に自分というものを重ね合わせてしまうものだろう。それをダイレクトに物語にしてしまうのか、語り口を変えてオブラートに包むか、いろいろあると思うけど、二ノ宮隆太郎監督の『枝葉のこと』に関して、僕が言えるのはたぶんこんな言葉だけだろう。「彼は、自分自身を映画にしてしまった」それが幸か不幸か、誰にもわからない。この物語を描いた人間には、失ってしまったことへの、悲しみだったり悔恨だったり、己や他者への怒り、そして諦めがあるかもしれない。だがもちろん二ノ宮は、そのことを陳腐な言語化をしたりしない。悲しいから涙を流すとか、怒りを溜め込んで暴力に変換したりしない。ただ、彼は歩く。ひたすら、歩きつづける。

 

 その朗らかな容姿と、内に含んだ毒性。きっと金太郎飴のようにどこを切っても二ノ宮隆太郎は二ノ宮隆太郎なのだろうし、彼は今日も明日も撮影現場に、映画館に、酒場に現れるだろう。映画『枝葉のこと』は5月12日から映画館のスクリーンに出現する。この配信時代に、あなたがわざわざ家を出て、都会の喧騒をくぐり抜けて、映画館の真っ暗闇で出会わなければならない映画があるとすれば、僕はこの映画を薦めさせていただきたい。そこに身内の贔屓目はない。僕がかつてこの男と出会って、今日までその関係が続いてきたように、この映画と出会った貴方が「なんだこいつ」と思ってくれたら幸いだ。映画『枝葉のこと』を宜しくお願いします。

 

平波 亘(『枝葉のこと』助監督)